バナナの叩き売り(啖呵売)といえばバナちゃん節。台湾で育てられ、基隆港を船出して日本の門司港に着いたバナナ。83度の高熱で黄色く蒸されていよいよ叩き売り。では門司でどう売られていくか。その後半について読み解いていきます。
バナナの叩き売りであるバナちゃん節は、前回前半をご紹介したバナナのタンカバイです。
台湾でもぎ取られ、日本にやってきていよいよ叩き売りで売られるところまで書きました。
バナナのタンカバイ、バナちゃん節について、きょうは後半について書きます。
600高けりゃ、58(ごんぱち)だ
58ゃ、昔の色男、それに惚れたか小紫
58高けりゃ55(ごんご)だ、
ゴーンゴーンは鐘の音、
鎌倉名物鐘なれど、金で浮世がすむのなら
奥州仙台伊達候に、なぜに高尾がほれなんだ
これは、600円から580円、そして550円と値段が下がってきているわけです。
最初のくだりは、「平井権八・小紫の比翼塚(ひよくづか)」の話のことを言っています。どんな話かご存知ですか。
あるサイトに書かれている話を要約します。
江戸時代初期、鳥取藩士の平井権八は腕自慢と若気の至りで父の同僚を殺害して江戸に逐電。
ただ、ちょいわるでイ ケメンの権八は吉原三浦屋の小紫と馴染になって金に困り、浅草日本堤で通行人から金銭を奪い辻斬り殺人強盗を重ねました。
ですが、あるときかくまわれた住 僧に教わった尺八をふいているうちに改心。
虚無僧になって郷里鳥取に帰ったものの両親とも他界しており、権八は自首。
鈴ヶ森で処刑されたものの、権八に惚 れぬいた小紫は「うまれた時は別々でも死ぬ時は一緒」と心中を誓っており、権八の墓で自害。
人々は2人を哀れみ比翼塚が建てられたというものです。
啖呵売の生命線は語呂
後半は、伊達藩主と高尾太夫のことを言っているわけですね。高尾太夫はナンバーワン花魁。
伊達家の当主が跡継ぎを生むためにと身請けされて側室になったも のの、高尾太夫には書生の恋人がいて、顔をつぶされた伊達藩主は手打ちにした、思い余った高尾太夫が無理心中したといった説がありますね。
それはともかく、「鎌倉名物鐘なれ(鳴れ)ど」から、どうして「金で浮世がすむのなら」が結びつくのか。
別に鐘で浮世がすむとは、その前では一言も言ってないわけですよね。
その上、どうして伊達藩主の話が結びつくのか不思議ですね。全然関係ないわけですから。
とまあ、いちいち細かく考えたら、タンカバイは成り立たないのです。
タンカバイというのは、論文じゃないですから、論理とか客観性とかではなくて、語呂ですから。
韻を踏んだり、単語つながりで全然別の話になったっていいのです。要は、その流れが保てればいいのです。
ただ、やはり聞く人は不特定多数の人間ですから、ディテールにはきちんとストーリーがなければならない。だから、高尾太夫の話が入っているわけです。
バナナは叩き売りも興味が尽きません。